この話は外科医が治療(手術)に伴なうリスク、合併症のことについて患者さんに説明したところ、患者さんは合併症のことを重く考え、代替医療に走ってしまったというもの。
それに対して外科医は
確かに手術は人間が行うものなので絶対ではない。患者さんの立場なら、手術への不安から安全な治療、誤った療法を選んでしまうこともあるだろう。だが、患者さんはともかく、医療従事者だけは、不安な思いに対して“安全第一”が取り憑いた判断をしてはいけないと思う。と自省している。
患者には安心を提供しなくてはいけない、という意味では同感。
「私にまかせておけば大丈夫。必ず治します。」
なんてかっこいいことを言ってあげたいなぁと思う。
でも、この外科医のとった言動は決して間違ったものではないとも思う。手術の説明ともなると、説明時間の半分以上を手術に伴なう合併症に費やしていたりするのが現実。
実際の臨床では理解してもらえるように、平易な言葉で患者さんに分かるように説明するよう心がける。すると患者さんは、うんうん頷きながら、「分かりました。」と言いながら聞いている。
しかし、どこまで話を理解しているのか怪しいところがあるのは確か。自分にとって不都合なことは頭の中に入ってこないというのは誰でもそう。患者さんと対面しているとよく分かる。
にもかかわらず、ほとんど起こらないけど、起きるかもしれないことの説明に時間を費やしている。保険会社みたいに紙を渡して、あとは自分で読んでください、なんて形式にしたらどうだろう。いい話だけ聞いてればいいから、患者さんも気が楽に違いない。
これはほんの一例だが、そのような過剰に防御的になる医療をディフェンシブ・メディシンというのだそう。
救急外来にきた患者で「胸が痛い」と言ったらほぼ全員に造影CTをやるとか、頭をぶつけたかもしれなかったら全員頭部CTとか。
こういうのもディフェンシブ・メディシン。なんでもかんでも検査しておけば、後で”何か”起きた時に役立つかもしれない。でも医療費はこうしてどんどんあがるわけだ。
実際にアメリカを例にとると、ディフェンシブ・メディシンの弊害は
ディフェンシブ・メディシンによる無駄な医療がどれだけ医療費を押し上げているかについてもいくつかの研究があるが、医療過誤の賠償金に上限を設けるなどの法的対策を講じていない州では、そのような法的対策を講じている州と比較して、医療費総額の5-10%が余計に消費されているのではないかと推計されている。と市場原理が医療を亡ぼす―アメリカの失敗には書かれている。
医療過誤に対して設ける法的対策というのはおもしろい。
すでに日本でもディフェンシブ・メディシンははびこっているけど、医療費が増え続ける原因の一つに増え続ける医療訴訟というのもあるのかもしれませんね。
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